日本放送作家協会主催 作家養成スクール
あれだけ激しかった鉄の暴風は、四日前にピタリと止んだ。上原二等兵は、三人の兵に投降を切り出せず、二晩目を迎えていた。
「オイ、だれか、みず、水ねえかよ」
壕の中で、深山上等兵が、首だけで振り返った。ひとりが、眼鏡をゆり上げると、もうひとりは、手洟をかんでため息をついた。
「自分が、水(ミジ)、汲みに行くであります」
伝令の任務を、果たせぬまま、居心地の悪い上原は、小さな体を立ち上がらせた。
「琉球(リュウキュウ)、てめえ、投降する気だな。えっ」
上原は、鋭敏な眦(まなじり)でブルブルと首を振り、「金(チン)井戸(ガー)を知っとるのは、自分だけでしょ」
と言い切った。上原は、三人の敗残兵の水筒を拾い上げ、肩から襷にかけた。軍帽を目深にかぶり、不動の姿勢で敬礼をすると、堂々と壕を出て行った。
楔(くさび)に割(わ)れた壕口を、唐辛子のような月が、遠くに消えていった。敗残兵の吐く息で、壕内の空気は澱み、自らが発する悪臭さえ、最早、嗅ぎつける余力は残っていなかった。
カツン、カツ、カツン、
水筒の擦れる音が、聞こえた。上原が壕口に入るやいなや、三人は、我先に水筒を奪い取った。水筒を高々とかかげ、溢れ出た水は喉元に潤いを呼び戻した。三人が、ふぅーと深いため息をもらし、微(かす)かな落ちつきを見せると、上原は、おもむろに、口をひらいた。
「皆さん、昨日も今日も、投降の呼びかけを聴きましたよね。戦争は、ほんとに終ったのです。自分は、半月前捕虜になりました。自分は、皆さんに投降を促す、最後の伝令にやって来たのです。酒(サキ)と煙草(タバク)があります」
暗がりの中、上原は、両手の酒と煙草を、三人にかざした。三人の敗残者は、ゾロリ、と瞳を光らせ、標(ふる)える指先で煙草に手を伸ばした。
赤い、三つの蛍火が明滅する。煙にむせて、目をパチクリさせ、三人は、順繰りに咳込んだ。深山が、上原から酒瓶を受けとると、岩肌に背を凭れかけ、泡盛を口に含んだ。次から次、僅(わず)かばかりの酒が、三人を忽ち酔わせた。自然と涙がこぼれていた。
三人の敗残者は、しばらく沈思してから、上原のあとを追って壕を這い出した。
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