受講生の作品

月夜の魔法

大塚こずえ
総合コース
2期生(2016年度)
性別:女性

月刊「たる」2016年12月号11話

満月の夜。都会の片隅にひっそりとたたずむバー。紫がかった古い木戸に魅かれ、僕は足を踏み入れた。くすんだランプの光に照らされた店内は、まるで十九世紀のロンドンのようだ。

「お店の雰囲気が、お酒をさらにおいしくしてくれそうですね。ポワロがリキュールでも飲んでいそうだ」

僕の言葉にマスターがほほ笑む。客は僕だけ……と思ったら、隅の暗がりに、ゆで卵に髭の生えたような紳士がひとり座っていた。

「ところで、よく映画の中でポワロが飲んでいる緑色のお酒は何でしょうね」

その紳士がこちらを振り返って言った。

「ああ、あれ。僕も気になってました」

僕は思わず声をはりあげた。美味しそうな料理のあとで、ポワロはしばしばその緑色の液体を一気にあおる。それが妙に羨ましく見えるのだ。

「クレーム・ド・マントですよ」

マスターがさらりと言った。

「薄荷味のリキュールです。食後の口臭防止に飲んでいるのでしょう」

「へえ、さすがマスター」

僕が褒めると、片隅の紳士が言った。

「口臭防止?じゃあ、あまり美味しくはなさそうだなあ」

マスターは穏やかにほほ笑んだ。

「甘くて美味しいですよ。デザートの役割もあるのだと思います。ポワロって超甘党なんですよ。好物はお酒よりも、チョコレート飲料とブリオッシュ」

へええ、と僕たちは声をあわせる。試しにどうですか?と言われ、会ったばかりの紳士と一緒にクレーム・ド・マントをあおる。

「さて、そろそろ私はお暇しましょう」

おもむろに紳士は立ち上がり、褐色の帽子をかぶると、そのつばを軽く持ち上げて僕に会釈した。

「エルキュール・ポワロに似ているという、せっかくの魔法が解けないうちにね」

一刻前に出会ったばかり、ほんの少しの時間を共有しただけの僕たちは、ささやかな同じ魔法を分けあって、満月の下に別れた。

作品種類
雑誌掲載作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
小説
   

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