日本放送作家協会主催 作家養成スクール
父さん、なんで母さんと結婚したの?」
飲んでいたワインを思わず噴き出した。
バーカウンターで隣に座る息子を見た。きっと僕の知らない所で色々あったのだろう。
強引に聞き出そうと思ったら、ステージからへその奥までくすぐる様な、コントラバスのボン、ボンという音がしてきた。息子がリクエストしていた『スタンドバイミー』だ。
生演奏をBGMに、僕は古い記憶を辿った。
「体だけが目的だったんでしょ」
大学時代、新聞配達のアルバイトからアパートに帰って来ると、卓袱台の上にそう書かれた置手紙があった。僕は慌てて飛び出し、彼女を追いかけたが、どこにも見つからない。
それどころか、道行く人が皆、マネキンになっていた。何をたずねてもどこを触っても、誰も何も反応しない。恐くなって、何度も彼女の名前を叫んだが、こだま一つ返らない。
そして、冷たく変わり果てた彼女を見つけた。彼女を元に戻そうと、抱き付いたりキスしたりしたが、彼女は無表情。僕が為す術もなく崩れ落ちた時だった。
「こんな所で寝たら風邪ひくよ! ねえっ!」
そんな天の声で僕は目覚めた。目の前で彼女は、周りに転がるビールの空き缶を片づけていた。どうやら、僕は配達から帰って来た後、卓袱台の傍で眠ってしまったらしい。
僕は無心で彼女に抱き付いて、わんわん泣いた。彼女は「酒くさっ」と眉をひそめたが、その内、何も言わず、泣き止むまで背中をさすってくれた。
あの時、起こしてくれたから。生演奏が終わった後に、息子の質問にそう答えた。
「俺にも起こしてくれる人、できるかな?」
僕はワインをゴクンと飲んだ。
「起こしてくれる人を見つけたいんやったら、寝とったらあかんのやぞ」
「はあ? 何それ?」
意外と名言だと思ったのに。勝手に残念がっていたら、微かにウーンという音が聞こえた。息子が自分のスマホをカウンターに置き、「スピーカー」のマークを押した。
あの時の天の声の主が「今どこ?」とたずねて来た。 (終)
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