受講生の作品

最後の伝令

山根 慶一
総合コース
6期生(2020年度)
性別:男性

月刊「たる」2020年8月号55話

あれだけ激しかった鉄の暴風は、四日前にピタリと止んだ。上原二等兵は、三人の兵に投降を切り出せず、二晩目を迎えていた。

「オイ、だれか、みず、水ねえかよ」

壕の中で、深山上等兵が、首だけで振り返った。ひとりが、眼鏡をゆり上げると、もうひとりは、手洟をかんでため息をついた。

「自分が、(ミジ)、汲みに行くであります」

伝令の任務を、果たせぬまま、居心地の悪い上原は、小さな体を立ち上がらせた。

琉球(リュウキュウ)、てめえ、投降する気だな。えっ」

上原は、鋭敏な(まなじり)でブルブルと首を振り、「(チン)井戸(ガー)を知っとるのは、自分だけでしょ」

と言い切った。上原は、三人の敗残兵の水筒を拾い上げ、肩から襷にかけた。軍帽を目深にかぶり、不動の姿勢で敬礼をすると、堂々と壕を出て行った。

(くさび)に(わ)れた壕口を、唐辛子のような月が、遠くに消えていった。敗残兵の吐く息で、壕内の空気は澱み、自らが発する悪臭さえ、最早、嗅ぎつける余力は残っていなかった。

カツン、カツ、カツン、

水筒の擦れる音が、聞こえた。上原が壕口に入るやいなや、三人は、我先に水筒を奪い取った。水筒を高々とかかげ、溢れ出た水は喉元に潤いを呼び戻した。三人が、ふぅーと深いため息をもらし、(かす)かな落ちつきを見せると、上原は、おもむろに、口をひらいた。

「皆さん、昨日も今日も、投降の呼びかけを聴きましたよね。戦争は、ほんとに終ったのです。自分は、半月前捕虜になりました。自分は、皆さんに投降を促す、最後の伝令にやって来たのです。(サキ)と煙草(タバク)があります

暗がりの中、上原は、両手の酒と煙草を、三人にかざした。三人の敗残者は、ゾロリ、と瞳を光らせ、(ふる)える指先で煙草に手を伸ばした。

赤い、三つの蛍火が明滅する。煙にむせて、目をパチクリさせ、三人は、順繰りに咳込んだ。深山が、上原から酒瓶を受けとると、岩肌に背を凭れかけ、泡盛を口に含んだ。次から次、(わず)かばかりの酒が、三人を忽ち酔わせた。自然と涙がこぼれていた。

三人の敗残者は、しばらく沈思してから、上原のあとを追って壕を這い出した。

作品種類
ラジオ放送作
雑誌掲載作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
ラジオドラマ
ショートストーリー
小説
エッセイ
   

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