日本放送作家協会主催 作家養成スクール
家と土地は俺に譲ること。ただし、遺品はすべて俺一人で片付けること。祖母の遺言でこの古い家に引っ越してきて、二日が経った。
片付けをさぼって、畳の上に転がっていると、三毛猫がにゃあと鳴きながら、俺の足にまとわりつく。引っ越し中に勝手に上り込んできて、主のような顔で住み着いてしまった。祖母がかわいがっていたのだろうか。
猫は、ついて来いと言わんばかりに、かぎしっぽを揺らした。にゃあにゃあと騒ぎながら廊下を抜け、台所に入っていく。
すると猫は、突然、必死に台所の椅子に体当たりを始めた。もちろん、猫の力ではびくともしない。俺も手伝って椅子を動かす。すると、そこだけ床の色が違う。扉のようだ。
俺は床に這いつくばって、突然現れた扉に注目した。よく見ると、小さな鍵穴が見える。鍵が掛かっているらしく、開きそうにない。
急に猫が俺の顔にじゃれついてきた。引き離そうと、首のもふもふした毛に触れると、首元に硬い感触があった。首輪から取り外した鍵は、床下の扉にぴったりと合った。
扉を開け、小さな床下収納をのぞき込むと、見覚えのある赤いふたが、びっちり並んでいる。俺は息を飲んだ。両手で瓶を持ち上げると、ずっしりとした重さを感じる。赤いふたの広口瓶にたっぷり入った梅酒だった。
「ばあちゃん」
俺は夢中になって床下収納から、次々と瓶を取り出した。祖母の几帳面な字で、日付を記した瓶がいくつもいくつも出てきた。亡くなる直前の日付のものまで。
震える手で赤いふたを開け、注ぐと、とろりとした黄金色に輝く液体が、甘い懐かしい香りを放つ。ひんやりとした床下で眠っていた梅酒は、このときを待っていたかのようだった。
「美味いなあ。来年も漬けてよ」
そんな無責任な言葉を投げかけて、俺はちっともこの家に帰って来なかった。ここ数年は地方転勤がつづいたけれど、年末年始くらい帰ってやれば良かった。
「ばあちゃん。ごめんな」
猫は満足そうにかぎしっぽを揺らしていた。
渋谷本校
横浜校
大宮校