日本放送作家協会主催 作家養成スクール
平成三十年の五月、祖母が死んだ。庭の青もみじが美しい早朝の座敷で。
東京の下町で小さな八百屋を営む我が家は、祖母と両親と三人兄妹の六人家族だったが、姉と兄が結婚して家を出てからは、
銀行に就職して二年目の私との四人家族となった。
店を始めた祖父は、四十年前、配達中の事故で亡くなり、一人息子の父が後を継いで、祖母と二人で頑張ってきた。父の結婚後、祖母は店を息子夫婦に任せた。ご近所さんからは新鮮で安いと評判が良く、配達もするし、大きなスーパーも遠いため繁盛している。
祖母は、忙しい時は店に出て手伝うが、そんな時は生き生きとしているように見えた。
まだまだ仕事をしたかったのかもしれないが、筋を通して息子夫婦の商売の仕方には一切口を挟まなかった。
朝に夕に、仏壇に手を合わせ、月命日には日本酒を供え、祥月命日には、祖父の好きだった大吟醸に変え、後で父や兄と一緒に飲んでいた。
三十三回忌も過ぎ、ひ孫が次々に生まれた頃から、仏壇の前に座っている時間が増えていった。
「おじいちゃんと話してるの?」と聞くと、うなづきながら、「秘密にしていたけど、事故の日、病院に駆けつけた時、もう亡くなってたんだ。その晩、布団の足もとにおじいちゃんが立って、一緒に行くかと聞いたけど、昭彦が一人前になるまでは行けないと断ったんだよ。それっきり出て来やしない」
祖父をなじりながらも、寂しがっているように聞こえた。
早朝の冷気の流れ込む座敷で、仏壇の前に横たわっていた祖母は安らかな顔をしていたと父が語った。四十三歳で夫を亡くし、どれ
だけ大変だったか。苦労を見せないまま逝ってしまった。
おばあちゃん子の私は、ただただ悲しいばかりだが、今度は自分から連れて行ってほしいと言ったのであってほしい。
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