受講生の作品

水無月の浸透圧

武田加代子
専門コース
4期生(2018年度)
性別:女性

月刊「たる」2019年6月号41話

梅の実がたわわに実っていた。

「悪かったね」

声がして振り返ると、理一が喪服の上着を腕に抱え歩いてきた。

「ううん。お義母さんにはよくしてもらったから」

私は小さく応え、もう一度梅の木を見上げる。雨の降らない六月に、摘まれることの叶わない青い実が、喘ぐようにしがみついていた。

理一が少し離れて立ち止まった。

「そうか、今年の梅酒は飲めないのか」

 

理一と暮らしていた頃、義母は毎年梅酒を送ってくれた。

「好きだったよな、梅酒」

忘れかけた記憶を摘まみ出すように話すけれど、私の好きだったものは、他にもある。

その声、指の形、笑うと頬に走る皺……。

「おれは子どもの頃、お袋に叱られたことを思い出すな」

梅酒を造るために用意していた氷砂糖を内緒で食べてしまい、ひどく叱られてしまったのだと、懐かしそうに笑った。

「ちょっとわかる」

私の理解に気を良くしたのか、理一は、氷砂糖はどう見ても飴玉だと主張する。

「子どもを誘惑する氷砂糖。でも、普通の砂糖じゃダメなんだってさ」

知っていたけれど、黙って頷いた。

「ゆっくり溶けていく時間が必要だった。なんにでも‥‥」

理一が、「そうだ」と語気を変えた。

「去年の梅酒があるから、持っていく?」

ガラス瓶の底で、青い果実が密かに熟れながら時を待っている。

「いいよ、そんな大事なもの」

「大事なものだから、だよ」

 

時間が溶かしてくれたものは、なんだろう。どんな記憶も、深い琥珀色へと質量を変える。

「悪かったね」

理一はもう一度、私に言った。

じきに雨も、降り落ちるだろう。

作品種類
ラジオ放送作
雑誌掲載作品
修了制作 最優秀賞受賞作品
作品ジャンル
ラジオドラマ
ショートストーリー
小説
エッセイ
   

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